
ふれあい祭りで披露される棒踊り |
染竹の棒踊は、ある親子の物語で娘が仇討ちの練習をしている様子を棒踊りで表現しています。昭和30年頃、水俣市寒川地区の人達が出稼ぎに行った先でその棒踊りを見て気に入り、伝授してもらったのが始まりです。その後、寒川地区の人々が練習している様子を見て、染竹地区でも踊りだし、今でも受け継がれています。
娘が持っている鎌の「エ」の下には鎖がついていたのですが、ケガがないよう、現在は赤いフサがついています。
水俣・芦北地方には、各地で棒踊りが踊られ、それにまつわるエピソードも地域ごとに語り継がれています。 手に持つものも長鎌であったり、長刀だったり、人数や唄の内容などに地域の特色を見ることができます。
薩摩の小さな田舎の片隅で、父と娘2人が貧しいながらも楽しく暮らしていました。ある日、親子で水田の草取りをしていましたが、横の道を侍達が通るので、道には投げないよう気をつけていました。しかし、うっかり娘が道に投げてしまった草が、運悪く通りかかった侍にかかってしまい、立腹した侍は、娘を無礼討ちにすると言いました。父は、「娘のかわりに、おれを切ってください。」と言うと、侍はためらいもなく父親を切り捨てました。娘達は悲しみにうちひしがれましたが、仇討ちをすると誓い、姉は長刀、妹は鎌を握りしめ、朝夕練習をしました。